聞く耳を持てなかった自分、でも今となって

こんばんは。

ふなしです。

 

酔っ払いを見て思います。

電車などで「あんなんで大丈夫か?」「あの人の飲み過ぎじゃないか?声デカいし」とか・・・

また道歩いていても千鳥足とはコレ!みたいな方もいらっしゃいます。

 

ただ全部過去の自分と同じなんですよね。

( ̄▽ ̄)あー

 

今になってから、どっかの誰かとなって「あなたは過去ああだったんだよ」と自分の前に現れて見せて頂いてる気もします。

 

「出来れば飲み方を今のうちに考えて、限度を知った方がいいよ、そんなこと繰り返していたら、もしかしたら一滴も飲めなくなる日が来るかもよ」などなど思ってしまいます。

 

一滴も飲めない方がラクなんですけれど、まあそれはそれで他人とは違うっていう何とも言えないものを背負って生きていくことになりますから。

 

出来れば自分みたいになる手前の手前で気がついて欲しい。

「酒は毒でもあるんだ、普通に売ってはいるがガブガブ飲むものではない特別な飲み物なんだ、飲み過ぎたらどうなるか・・」と気がついて欲しいです。

 

・・・が、大きなお世話ではあります。

 

それも過去の自分を振り返って・・・

 

昔、自分がガブガブと酒を飲んでいた時に酒をやめた人(断酒とまでは行かないが普段の生活で飲まなくなった)が「酒を飲まないと体の中がキレイになっていく気がするよ」って言ってました。

やめろとは言わなかったけれど、どっかそういうのが含まれてるなとは感じました。

そこから随分時がたって自分が病気とわかり自分もそう思うようになりましたが、当時は何も響いてきませんでした。

 

あの時その人は自分に精一杯伝えようとしてくれていたのでしょう。

 

確かに「その時に」は聞く耳を持ってない自分でした。

でもすごい時間がかかって今とっても重い言葉となって自分の心に届いてます。

 

「そんなに飲んだら将来一杯も飲めなくなってしまうかもよ」

そんなことを言ってくださった方もいました。

当時は「はい、はい」って流してました。

ただ今になって頭の中にずっしり来ています。

 

時差がありました。

 

それが残念だったのかどうかもわからないです。

ただ時差があっても生きている間に気がつけたことがあって。

 

伝わらないとかってずっとそうなのか?

ひょっとしたら今だけじゃないのかな?

 

タイミングがあってなくてうまく伝わらなかったり、お互いに誤解があることなんて、なにも断酒の話だけじゃないのかなって思います。

 

そういう意味で断酒を通して自分は他の面も回復している途中なのではないか・・・

そして回復の途中なのは自分だけでなく、相手も同じなのではないか・・・

 

じゃあもし相手が先輩ならば必ず自分より回復してないといけないのか?

 

好きだったものを嫌いになるのは簡単なのに、一度嫌ったものを好きに持っていくのはとても難しい。

好き嫌いは仕方ないけれど、好きな人の言葉は絶対で、嫌いな人の言葉は全部間違っているわけでもなく。

 

と考えながら、まだまだ自分には考えると迷路に迷ってしまうようなことで難しい。

なんって、いろいろ。まだまだ。

( ̄▽ ̄)ねー

 

今日も断酒で。

更新もつづく。