依存症は治るのか?(3)
おはようございます。
ふなしです。
一昨日、昨日のつづきです。
依存症の治療には四つの段階
まずは問題行動(飲酒)をやめる「解毒期」、次に酒を飲まないという行動を作る。「脱慣期」。
30年前くらいまでの依存症の治療はだいたいここで終わっていたそうで、
実はここからこそが本格的な治療だというのがわかって、効果のある治療法が見つかってきたのは20年くらい前だといいます。
もう酒は抜けたはずなのに「気持ち」が抜けていない。
これじゃあ日常生活に戻ったら何かのきっかけでまた元に戻ってしまう。
その気持ちと闘うのが第三段階の「渇望対策期」です。
ここでは新しい行動習慣の維持のと考え方を変える練習が必要です。
考え方を変えるって簡単に言いますが、難しいです。
長年やってきてしまっているし、急に今日から松岡修造とか無理です。
よく依存症になりやすい性格とか環境とか言いますが、それも含めて自分を知らなければ。
あ、「自分を知る」となるとつい短所ばかりに目が行きがちで、そこで萎えてしまうかあるいは開き直る傾向が自分にはあります。
このブログにもそういう面が出ているかもしれません。
その性格が悪いのではなく、その考え方のクセを変える必要があります。
それをひとつひとつトランプみたいに裏返してマークと数字を知っていく。
※あのトランプ氏ではありません( ̄▽ ̄)
自分の長所が出てくるまで、一日一枚でも一週間に一枚でも返しながら。
ハートのエースが出てくるまで?
なかなか出ないなあ・・・自分の良さが。
で、名案が・・・( ̄▽ ̄)え?
まあ名案っていうか、たまに聞くんだけど
「この人のこのやり方っていいな」ってのを単純にじーっと
(気づかれないように観察します)( ̄▽ ̄)変態ではありません。
無理に前向きな人を観察しようとか、張り切りボーイを真似ようとかでなく。
自分があくまでも自然にイイナって思える人を、その人の真似と言うか、その人みたいな行動をすることにより自然といい感じになってくると思います。
( ̄▽ ̄)それもなんちゃって程度でいいと思います。
それには一人で悩んでいても、一対一の治療でも限界があります。
断酒の仲間の存在が必要なんですね。
酒を飲んで一緒に愚痴ってた仲間ではなく、悩んだり過去を振り返ったり一緒にする断酒をする仲間が・・・
先は長いんで一人じゃ無理だし、また短所や変えようのない過去を悔やむだけの毎日になってしまう。
( ̄▽ ̄)・・・・・あ。
もうお分かりかもしれませんが、この治療は生きている限りずっと続きます。
( ̄▽ ̄)・・・・・だろうね。
なにしろここが依存症治療のキモなんですね。
この段階で治療もだんだんと集団へという道をたどります。
その先が第四段階の「社会復活期」であり、最終的に会社や家庭などで
酒を断ったまま生きていくということに続くのです。
これもずっと続きます。
だから第三段階、第四段階で必要なのは「仲間の力」です。
それも問題行動を一緒にしていた仲間ではなく、断酒の仲間です。
依存症は治り続けるもの。
終わりはないが、終わりがないからこそ焦ることなく。
断酒とこの心の回復どちらも続ける2つのバランスが大事です。
いつも頭に「今日も一日断酒」と思い浮かべながら。
さて、依存症は治るのか?
それは「治り続けるもの」という言葉の捉え方だと思います。
今治っていても、明日飲めばまた振り出しです。
そんな時にはつらかったこと思い出す必要があります。
それはつらくても自分の断酒のブレーキに繋がります。
ちょっと復習と気を引き締める意味も兼ねて3日間書いてみました。
素人の文ですので、どうもうまく書けなくてすんません。
でも一生懸命書いてみました。( ̄▽ ̄)
今日も断酒で。
更新もつづく。