大切なのは、はやさではなくて継続なり

おはようございます。

ふなしです。

 

酒以外に執着がなかったというか、酒もただ好きなだけだと思ってました。

そのくらいいいだろうって。

そのくらい酒が好きだったんですが、ここ数年はその好きに少し違和感もありました。

 

「うめ~な~ビール」ってだんだん思えなくなっていました。

てっきりビールだけが好きでなくなってきたのかなって思ってました。

でもそういうことじゃなかったんですよね。

 

いろんな症状が出てきたのは最後の何ヶ月のように思いながらも、

だんだんだんだん自分は依存症になっていて気づかない、気づくのがヤダ、気づいてるけどしらんふり。

酒についてあれこれ言われると意味不明な怒りすらこみあげてくる。

( ̄▽ ̄)おこってなんかいねーよ

 

依存症は誰でもなる可能性のある病気ではあるものの、ある日突然なるわけじゃありません。

一日一日だんだんと進行していくのです。

( ̄▽ ̄)でもどっからとかあるんだろう?

 

進行は酒を飲みはじめからみんな一斉にスタートかもしれません。 

そこからすぐ早めに気がついて調整できる人、手前で踏みとどまれる人と最後の最後までいってしまわないとわからない人、最後の最後まで行ってもわからない人、わかっても無理な人がいるんだと思います。

 

最後の最後の症状がどれかは十人十色、目くそ鼻くそレベルの話だったりします。

 ( ̄▽ ̄)きたねーなー

あ、勿論早く気がついて酒を止めるにこしたことはありません、そこは誤解なきよう。

 

依存症の治療のひとつであり、いちばん基本の断酒があるわけですが、

ちゃんと酒をやめていても「酒を飲んでいる時のような行動や言動」が出たりすることもあります。

これも人それぞれです。

 

ちゃんと酒をやめても、自分がそういう状態になるかもしれないことがわかっていれば、酒をやめたまま自分をコントロールしていく訓練を自然にできることになります。

 

心の症状の中で「なんだか自分が軽く、下に見られている、あんなやつにバカにされてるような気がする」

自分はこんなもんじゃない。耐えられない。

 

でもこんなの大抵実際は誰もそんなこと思ってなくて、というか、思っていたとして何って感じで、それがもっとも回復にジャマな感情かもしれません。

ドライドランクの症状が表に出やすい方で、優秀な方や何かの成功者、ちゃんとやってきた自信、真面目な方が多いのはこういう部分かもしれません。

言葉の端々にこれが見られたりします。

 

依存症だと認めるのと同じように、こういった部分も治すというよりは”自分が納得”することが回復の一つなのかもしれませんね。

 

それは自分がダメ人間と思うってことではなく、人間の世間の位置づけ自体がそんな重要なことではない(重要であってもそれがなにさ、その中で自分に出来ることをやっていく)と納得することなんじゃないかなあ?

 

これまたいきなりは無理です。だんだんと。焦らずに。

 

また自分なら他の患者より早く回復できるはずなんてのはもってのほかですよね。

大切なのは早くではなく、継続なのですから。

( ̄▽ ̄)継続は力なり。

コロスケなり。コロッケでも食べてあきらめずいきましょう!

 

今日も断酒で。

更新もつづく。