向き合うが難しい
ふなしです。
自分の一番の苦手な「なんともどうも納得いかないこと」がたまにあります。
自分の欠点というか、納得いかないなら納得いかないことを相手に直接伝えて、
相手がどうであっても最後まで突き通せればいいのですが、
格好つけてるだけなのか、単に意気地なしなのか、途中で面倒になって、嫌になって引いてしまいます。
今まで生きてきて、実際は自分が引いてしまった方が、
その後は何の争いも起こらないし、
自分の生き方の形も壊れず、うまく渡ってこれていたとは思ってます。
が、それが良かったのか?
確かにそのまま終わったままになれば、それはそれでいいのかもしれませんが、
過去は酒を飲めばぶり返し、今更それを言っても仕方ないだろうってことを愚痴るわけで。
( ̄▽ ̄)結局うまくなんていってねえじゃんか。
しかし不思議と酒を飲まないと、納得はいかなかったけれど、納得いく必要もない程度のことだったのだろうと思うようになってきました。
時間はかかるのですが(長い時は数ヶ月も)、酔っぱらってぶり返して、何度も愚痴ってないので、「それが自分が納得だのなんだの思う程のことなのか?」とじっくり考え、そうやってようやく納得すると言うか。
( ̄▽ ̄)時間がかかるんだけどね。
言いたいことをすべて伝えることが問題の解決になるかといえばそうでもないし、
ただわかりあいたいなら、とことん話せばいい、ただそれだけ。
どうも合わないなと思って、とことん話するのが面倒で、それなら避けたいなと思うことを「サボり」とか「向き合ってない」とか思って自分を責めているところもありましたが、そうでもないのかなと考えました。
大切なのは「合わなそうで面倒だから避けた」ということにもっともらしい理由をつけたりせず、ただ「合わなそうで面倒だから避けた」とちゃんと認めることであるのではないか。
どちらが悪いとかではなく、どうしても意見が合いそうもなく、ずっと平行線であるだろうなと思う相手とやりあうことが自分と向き合っているとは言えないのではないか。
なんだか難しい。
ちょっと今悩んでます・・・
今日も断酒で。
更新もつづく。