酒に溺れて、闇を耐えて、今は時々すぐ消えてしまう虹をみながら

こんにちは。

ふなしです。

 

ちょっと唸ってしまいました。考えてしまいました。

ここ数日の自分はどうだったろう?

 

「闇に耐える強さ」

本当にきついことや辛いことが起こった時に「きつさ」に耐えて、

1人でしっかり抱えているうちに、いずれそれは自分の年輪となる。

 

安物のバームクーヘンのようにふにゃふにゃな年輪な自分は、

いつもつまらない闇を小出しにして、まずいものを人に食わせているだけではないか?

 

実際はさわりの闇しか書けてません。

でもしっかり書いたとして、それは果たして酒に溺れるほどのことだったのか?

 

断酒していたって日常は変わらない。

少しいい人になった気がしても、実際は人への酔っぱらいの害が減ったくらいで

普段はそんなに変わってない。

日々のストレスやショックなこと、理不尽なことにふにゃっとしてしまう。

 

「酒飲まなきゃやってられねえよ」

 

それはストレス、辛いことと酒を完全に切り離せてないから。

かつてそうやって酒飲んでその場をしのいできたのだから、

咄嗟に浮かぶのは酒しかないのだけど。

 

酒の代わりが見つからなくたっていいじゃん。

なにもしないで暗闇でじっと耐えたっていいじゃん。

 

なんで辛いことを乗り越えるのに「何かが」いるのだろう?

 

でも「繋がり」はあった方が良い。

別にそこに全てをぶちまけるとかではなくて、心の支えとして

繋がりがあると思えるのとそうでないのは違うと思う。

 

辛いからって酒を飲まなくてもいいんだ。もう飲まなくていいんだ。

人と繋がっているからって全て自分の悩みをぶちまけなくてもいいんだ。

どうしようもなくなったら聞いてもらえるっていう心の支えがあれば、

今が真っ暗闇でも耐えて行けるだろう。

 

ちなみに今自分は暗闇ではありません。( ̄▽ ̄)は?ずっこけるだろ。

たまに虹を見た時のような楽しい時期があります。

ありがたいです。

でもそれは次に向かう前の大事な時で、浮かれていては、

またうやむやになって飲んだくれになってしまうかもしれません。

 

ずっと口開けて虹を見てるわけにもいきません。

また歩き出さなくっちゃ。

 

時々過去の暗闇を思い出し、ふーっと息を吐いて、

涙の雨の後に見える虹を眺めては、また歩きだし、

そして雨が降り涙して、

また次の虹まで前を向いて歩いていく・・・

 

酒なんてなくてもいいのです。

 

雨が止めば太陽や時々ご褒美の虹が見られます。

 

変な感じになってすんません。( ̄▽ ̄)わらうなよなー

 

今日も断酒で。

更新もつづく。