理解とは?
こんばんは。
ふなしです。
こんな記事を見つけたので。
依存症はいくつもありますが「いけないとはわかっている。でもやめたいのに、やめられない」ここの部分は似てます。
高知被告が逮捕されたときに「ありがとう」と言ったことに理解できない方は多いと思います。
中には「ふざけるな」と思った方もたくさんいるのではないかと。
まあ、覚せい剤と酒は入口は大きく違いますけれど。
だから一緒に語るわけじゃないですが、あくまで依存症という部分で。
自分は「酒を飲んではいけない」と医者に言われてほっとしました。
それとは違うかもしれないけれど「止められてもやめられない、でも止めたい、止められたくない、でもガツンと止めてほしい」という日々だったのかもしれません。
ここには「罪と病気の両方を受け入れてほしい」とあります。
自分のことばかり書いてしまいますが。
「病気だから仕方ないんだ」と言いたいのではないです。
「病気だからこうなってしまったけれど、きっぱり止めてなんとか立ち直りたい、少しだけ理解してもらえたら力強い」
病気になった自分も酒をやめてみて「酒が本当に好きだったのか?」
「好きだとしてあんなに飲む必要があったのか?」となにかが日々剥がれ落ちてるイメージです。
そこでやっと自分が「酒の席だからちょっと位いいだろう」とか「金払ってるからいいだろう」とか「あいつの方が間違っているんだから何を言ってもいいだろう」など。
そういう「自分は人間としてどうなのか?」が見えてくるわけで。
( ̄▽ ̄)見えれば見えるほど、かなり凹むが・・・
これは依存症者が依存しているものをやめるのと一緒に一日一日考えなければならないことかなとやっと最近納得してきました。
自分はこんなです。
だから本当の意味での回復はまだずっと先だし、何年経ってどうというのも目安でしかないのかもしれません。
・いくら飲まない時間が過ぎても、祝杯であっても酒は一切飲めない
・本当の意味での回復はやめてすぐにではなく、時間が必要
という部分。
同情してくれとかそういうことではなく「そんなもんなんだな」って思って頂けたら嬉しいが。
まあそれも「こちらの勝手な話」でもあり・・・
今日も断酒で。
更新もつづく。