アルコール依存症と他の依存症
おはようございます。
ふなしです。
誰かを訪ねてどこかへ行く時、初めてその場所へ行く時にはそこまで行くのに遠く感じませんか?
しかし何度かそこを訪ねていると道に慣れて遠く感じなくなってきます。
同じ道のりなのに何故だろう?
それは脳で記憶が作られたからなんです。( ̄▽ ̄)ほー
記憶がつくられると目に入ってくる風景が初めての時と違い珍しいものではなくなって、脳の中のメモをたどっていけばいいことになります。
そうすると初めて見る風景の中を歩いていた時と違い脳の負担が軽くなる。
例えば行ったことのない遊園地に行く。
はじめて乗る乗り物もあるでしょう。みたことのないキャラクターもいるかも。
しかし同じ遊園地を気に入って何度も何十回も何百回も・・・
何千回、何万回と行くとする。
経験を繰り返すことによって、身の回りで起こることが意外でなくなってきます。
意外でなければなにか「良いこと」が起こってもいちいち脳内の報酬系は反応しなくなってくるのです。
( ̄▽ ̄)あー、だから感動がだんだん薄くなっていくのか?
因みに習慣化された自動的な行動を司っているのは、報酬系とは別の部位です。
線状体ってところです。
と、これが依存症の終着点なのであります。
( ̄▽ ̄)なんだよ、いきなり。終着点って。
依存症になってしまうと報酬系は正常に働かなくなってしまいます。
( ̄▽ ̄)は?どゆこと?
生活から喜び、楽しみが奪われてしまうのです。
遊園地から喜びが、楽しみが奪われてしまう・・・
まあ遊園地ならそこに行かなきゃいいだけって話でしょうが。
で、いきなりここで酒の話がきてしまうのですが・・・・
毎日の嫌なこと、不満なこと、何とも言えないイライラなどから解放されたくて
飲んでいたのに、1年、3年、5年、10年、15年、20年、25年・・・
ずっと飲んでいるうちに少量では満足できなくなるのはそういうことです。
そしていつの日か生活がまるでうす暗闇の中のようになってしまう。
しかしこれは異常なことではないのです。
アルコールを大量に飲むことによって脳が分子生物学的、神経科学的に正しい仕組みによって自然に落ち込んでいってしまう終着点なのです。
( ̄▽ ̄)げ!脳にとってはそれが当たり前だってことか。
このように長い時間かけて終着点へと向かっていくわけです。
依存症には薬物依存症とそうでない依存症があります。
薬物依存症はシンナー、覚せい剤、たばこ、アルコール、大麻など。
その他はギャンブル、ネット、買い物、人間関係など。
(行為、情報環境、人間関係の依存です)
薬物もそうでない依存症も入口は同じです。
それに手を出す最初の心理は似ています。
しかし薬物の場合はこのように脳に直接の影響があるのです。
手を出した後は気分のアップダウン、アップダウンを繰り返しながら少しずつ、少しずつ脳が正しい仕組みでそうなっていく。
そこが薬物依存以外の依存とは違うところなのです。
自分はギャンブルや買い物などの依存症も同じようなものかと思っていましたが、
薬物と薬物以外の対象(行為、情報環境、人間関係)の依存はちょっと違うんですね。
で、アルコール依存症は薬物依存症であります。
( ̄▽ ̄)そういう理由で酒はコワいんです。
依存症になった人間が酒を止める時に、酒の勉強をすればするほど酒を悪く思うのは当たり前なのかもしれません。
酒を悪く言うと言うより、酒について何も知らされず飲んでいた自分がただのアホだったのかっていう何とも言えない気持ちも持ってだと思いますが。
自分はそうです。( ̄▽ ̄)なけてくるぜ
酒とはそういう飲み物で、長年飲んでいれば脳が正常にパブロフの犬状態まで進んでしまう。
アルコール依存症は薬物の依存症なのです。
( ̄▽ ̄)何度もいうなよー
でもこれも依存する心とくっついてからの長年の結果でしょう。
だから依存する心の持ち主(私)が酒を一滴も飲んではいけないんですね。
今日も断酒で。
更新もつづく。